2011年6月3日金曜日

脳内OSとプログラム

以前に、高齢の精神科医が、外来で患者さんに、こう言い放っているのが聞こえてきたことがあった。

「自分がアルコール依存症になっているかどうか気になるの? あなたは大丈夫。
なぜなら、アルコール依存症の人は、話ができない。
あなたは、話が通じる。
だから、大丈夫」

またスゴイこと言っているなぁと、当時は半ば聞き流していた。
でも、最近学ぶべき点があるように思えてきている。


きちんと診察として成立しているけれど、最後の締めに要点を確認すると、相手は何も分かっていなかったという状況は、時々経験する。
なんだか話が通じているようで、通じていない。妙な違和感がでてくる。思い返せば、どこかが噛み合っていない。



人間の脳みそをコンピューターに例えることがある。
自分の場合、脳というコンピューターの中にも、OSとプログラムの存在があると、イメージしている。


脳内PCの中のプログラムによって、思考や行動という活動が生まれる。ただ、そのプログラムはOSというバックグラウンドがあることで成り立っている。

大体の人のOSは似たようなもの。とはいっても、微妙にOSのクセがある。そのクセを分類して、それぞれの特徴を論じることができそう。
時には、まったく異質なOSもある。そのため、そのOS上のプログラムの仕様も、どこか異質。だから、似たような動きをするけれど、何か異質なものがある。
そんな感じ。

疾患ごとにイメージしていくのならば、
内因性精神疾患の人は、OSは問題ないけれど、プログラムにバグがある。だから、その人自身も予想できない言動を生みだされる。

自閉症圏内の人の場合は、異なるOSで似たような機能のプログラムが動いている。プログラムの挙動も大体理解できるけれど、注意していないと思ってもみない結果が出てくることがある。

アルコール依存症の人は、アルコールによって、少しずつ行動を司るPCのOSが書き換わっているような感じ。プログラムじゃなくて、OSがやられているから修復も困難。むしろ、別のOSだと割りきって考えたほうが、やりやすそう。


話が通じているようで通じていない時には、OSという思考のバックグラウンド自体がズレていることを意識したほうがいいかもしれない。

こういったイメージを持つと、相手へのアプローチについて、いろいろとアイディアが出てくることもある。自分の場合。