2012年2月29日水曜日

「国語力」は馬鹿にできない




「自分自身の気持ちや感じているものを、言葉にできる」
これだけで、精神疾患の予後は違ってくるはず。
そう信じている。

例えば、「不安なんです」と訴える患者さんは多い。

それに応えて、
「どんな時に、不安を感じますか?」とか、
「不安な時には、そこからどんなことを考えますか?」と、
聞いてみる。


すると、その質問に応えることができる人は、そんなに多くはない。
場合によっては、無意識だろうけれど、軽い逆切れみたいな態度をとる人も。

感じているモノやその周辺のことを、もう少し詳しく言葉で説明する。

一見簡単そうに見える。でも、クリアするのが、わりと難しいハードルなんだ、これは。

簡単そうなことをクリアできない。確かに、ストレスで、苛立ちを感じるんだろう。
精神的にしんどくて、病院を受診しているのに、何故しんどい思いをさせられないといけないんだ、って。それは、理解できる。

分かっているけど、必要だから聞いているんだよね。


正体不明なものは、本当に怖い

でも、言葉にして現すことができた時、それは正体不明でなくなる。カタチのあるモノになる
カタチがあるモノは、自分の中にあるものでも、取り扱うことができる。つまり、力を弱めたり、上手く付き合えたりすることができる。
そうなると、自分自身が楽になることにつながる。



言葉にして現すには、「国語力」が必要
その人がどれだけ、読んだり書いたりしてきたかという積み重ねの結果が、「国語力」。
だから、受診してきてから、読み書きの練習をしても、半ば泥縄なんだよね……



読書 / yto




自分ができるのは、言葉にして現すことを上手くできるようにしたり、時には肩代わりしてあげたりすることかしらん……