2013年5月2日木曜日

Twitterのつぶやきで理解したつもりになっていいの?


「治療の枠組をつくる」というのは、精神科治療の中での大きなポイント。

精神科の治療は、心が休まる魔法を使うわけではないので、どうしても「限界」というものが存在する。
「できることもあれば、できないこともある」という当たり前の話。
治療者と患者さんとの間で、治療には限界があることを共有する。それが大切。

治療を受ける側は辛いから、その枠組を超えてでも「楽になれると、自分が思うこと」を求めてくる。
その行動は理解できる。だからといって、その要求が満たされるまで、どこまでも応えていくことが、治療的かどうか。
「楽になれると、自分が思うこと」というのは、様々な形で表現される。素直に表現される場合もあれば、ちょっと捻った形で表現されることも。
治療側は、その表現を解釈して、対応を考えることになる。解釈の手がかりは、「相手に対する理解」から生まれる。
「相手に対する理解」というのは、生育歴とか、治療の中での関係性とか、いろいろな情報から生まれる。もちろん、理解するのが上手い、下手な治療者というのもある。ただ、「少しの情報で、わかったつもり」の治療者の行動というのは、恐ろしい



Dire Haircut Need / CarbonNYC



例えば、治療の枠を外れて、電話をかけてきたり、病院に来たりして、「話を聞くだけでいいから、聞いてもらえないだろうか」という要求があった場合。主たる治療者以外の治療サイドの人間が、「じゃあ、時間があるから、聞いてあげよう」なんて応じることがある。
これは、その時点での満足度は、ものすごく高い。むしろ、「困っている人を助けてあげた」と思っている、その場限りの治療者の方がより、すごい達成感を抱いていることも、しばしば。

これが、治療全体の流れから考えた時、治療的な行為だったと思えるかどうか……


枠組みを設定した、主たる治療者は「枠を超えるかどうか」という問題の中で起こる、しんどい状況に立ち向かう覚悟がある。(逆に言えば、その覚悟がないのに、枠組み設定したらダメなんだけれど)
これは、本当にしんどいことが起こる。でも、それをやっていくのが治療




で、Twitterをしている医療系アカウントを見ていると、時々気になることがある。
Twitterの関係の中で治療的な関わりをすることに、危険性があると思っている。その理由は、前述の通り。


まさか、Twitterのやり取りだけで、治療レベルで「相手のことを理解できている」なんて思えないよね。

Twitterって、普通の議論をするのも難しいツールなのに、まさか、お互いに問題点を抑えたり、共有したりした、建設的なやりとりができるなんて思えないよね。

辛いとツイートをしている相手に対して、「相手の気持ちを癒せるような」とか、「相手が前を向けるような」とか、そういう良い効果をもたらす働きかけが「直接的に」できたって、まさか、本当に思ってないよね。




40+41 outtake / bark





こんな考え方もあるんだということを、医療系アカウントの人には、ちょっと知ってもらえたらいいと思う。
もちろん、いろいろな考え方もあるし、「医療問題じゃない時にはどうなんだ」とか、いろいろなことも考えられるけれど、それぞれのケースについては、各々で考えてね。


追記
長々と書いたけれど、これがヤンデル先生だと、1ツイートで言い表せているという、恐ろしい現実……