2014年2月7日金曜日

底意地の悪い精神科医ですが、それが何か……



上記ツイートの内容は、概ね同意。

でも、頭の中に、何となくモヤモヤしている。多分、自分は底意地の悪い精神科医なんだろうな、ということなんだろうけれど。

どういうことかというと、他人のカルテや紹介状の記載については、一旦疑って読むみたいなところがある。
紹介状の中に、具体的なライフイベントの記載があったとしても、「それは、観察者のフィルターを通過した情報なんでしょう。鵜呑みは危険」みたいな囁きが、どこからか聞こえてきたりする。

信用のならないと言ったら、言い過ぎかもしれないが、そんな紹介状の経験もある。
とある精神科の開業医からの、入院依頼の紹介状。
生活の状況や本人の言動について、認知症を考えさせられるエピソードを、それこそ具体的に書かれていた。
症例報告並みに丁寧な病歴の記載。記載されている診断名は、もちろん認知症。
ところが、いざ診察してみると、老年期の「うつ病」じゃないかしらん?
実際、抗うつ薬中心の処方で状態が改善して、無事退院されましたが……

もちろん、逆の場合もある。
その臨床能力を信頼している医師からの紹介状の内容は、なるべく受け入れるようにしている。
例えば、自分が診察した時の評価が、紹介状のそれと違っていたとしたら、まずは自分自身を一旦疑ってみるくらいに。

要するに、紹介状や他人のカルテの読み解きも、自分自身の臨床能力が問われるというだけなんだが。

逆に、自分が紹介状を書いたりする場合。
精神症状の評価が難しいと判断したら、なるべく「客観性」を意識した、具体的な情報を記載するようにしている。そして、可能であれば、相手に判断を委ねるニュアンスを含めるようにして。
往々にして、このニュアンスを汲み取られない場合もありますが……


saturated writing / tnarik


いずれにせよ、カルテにしろ、紹介状にしろ、情報の載せ方には、やっぱり限界が存在するんだよね。すべての情報が載せられるわけではない。
それは、Twitterで140文字の中でのやりとりで、勝負するのと同じこと。

Twitterにしろ、紹介状にしろ、情報の発信とか、読み取り方には、テクニックや判断する能力みたいなものが必要じゃないかしらん



(追記)

精神科的現症の記載が、案外難しいものであると判っていただける、実に面白いツイート。

ドラマの中での話だけれど、
”食べ物をみると、自分が殺した敵兵の死体に見える”という状況をどう解釈するか。
ある人は「妄想」と呼び、別の人は「錯覚」と判断する。状況によっては(この場合、後年になれば)「再体験症状」と捉えて、ちょっと違った疾患概念の中で解釈する。

なかなか、面白いでしょう。

ちなみに、「私はこのドラマを見ていないので、どれが正解なのか、全くわかりません」。そう言わせていただきます。