特にTwitterを使う人のほとんどにとって、SNSというのは、「あくまでも、個人の感想です」の表明の場。
自分も、それを分かっているつもり。
そうなんだけれど、時として意図的に、時としてネタとして、「あくまでも……」というフレーズを入れてしまう。それくらい「個人の感想」というスタンスは忘れ去られがち。
もう一つ忘れ去られていることがある。
それは、「個人の感想」を表明するのであれば、他人のそれも認めていないといけないということ。当たり前の話なんだけれど。
時々目についてしまうのが、「俺の感想は、◯◯といったもので、これは正しい。お前の感想は、◯◯ではない。それは間違っている」っていう展開。時には、暴力的なものも。
これって、新手のジャイアニズムと言えばいいのかしらん。

CEO Face / rogerimp
元々「正義」とか、「正しい」といった価値観は、all or nothingというか、二者択一というか、とにかく単純な結論にたどり着きやすい。だから、「個人の感想」とは、相性が悪いはず。
ところが、「正義」は、おそろしい魅力を持っている。誰もがそれを使いたくなってしまう。
取り扱い注意のモノなのに。
「正義」と「個人の感想」を混ぜ合わせた結果できたモノって、ものすごく窮屈なものになってしまう。
窮屈なものを自分の頭の中で考えていると、自分の気持ちも窮屈になってくる。
そういったストレスは、頭の中のどこかで感じて、気持ちも苦しくなりがち。
でも、哀しいかな、人間って、こういったストレスには、かなり鈍感だったりする。
そんなストレスが溜まるような行為は、当然メンタルヘルスとしても、よろしくない。
だったら、どうするか。
「本当に気持ちがよい」と感じるように、考え方や心を持っていくことが解決方法の一つ。自分の考え方や心のあり方を意識的に見つめ直すことで、それはできるようになる。
これ、大切だよ。
意識的に見つめ直すやり方は、色々ある。
「本当に、自分が楽しいか」という問いかけは、上手なやり方の一つだと思うので、割りとおすすめ。
どこか、自分の気持ちがおかしいかなぁと思ったら、「最近、自分って楽しいこと、気持ちの良いことをやっていたかなぁ。そういうこと考えていたかなぁ」と振り返ってみたらいいかもね。

PhoTones Works #115 / PhoTones_TAKUMA
そんなことをヤンデル先生のツイートを読み返したり、書き写しながら考えてました。
そのツイートをつぶやくことであなたはご飯をおいしく食べられるのか 読んだ人はおいしくご飯を食べられるのか そう考えられる人のツイートはギャグでもまじめでもたいてい楽しいよ
— 病理医ヤンデル (@Dr_yandel) 2014, 4月 22